令和時代のコンプライアンスの重要性について

現代の企業においてコンプライアンス(法令順守・社会的責任)の重要性は、半ば常識と言っても過言ではありません。
また、そのことに異論を唱える人は、殆どいないのではないかと思います。
コンプライアンスが社会的に大きく取り上げられるようになったのは、1980年代から90年代にアメリカの企業の法令違反に対する裁判官の判断基準が制定されたことに端を発すると言われています。企業に対する懲罰的な量刑判断が過激なものとなった事にも関連すると思いますが、企業の法令違反に伴うリスクが直接的な会社の存亡のリスクにつながることから、主にリスクマネジメントの重要性が大きく扱われるようになった切っ掛けともいえます。
日本においては、その海外の動向に、日本人の気質としての法令順守を重んじる国民性と合わせて独自に進化したと思います。
日本ではアメリカのように、商品の注意書きが抜けていたことで何億円もの損害賠償を支払うような事例はありませんが、企業が法令順守の対応を見誤って、大問題となり、業績不振や倒産にまで陥るケースは見られました。
当初は大手マスコミやテレビが取り上げるような大手の企業に対するリスクであったのに対し、令和時代は一般の普通の人が簡単にSNSなどを通じて告発できるような時代になってしまったため、企業の規模によらずコンプライアンスの問題は重要になってきていると言えます。
情報インフラの発達は、そういった事業そのもののリスクだけでなく、経営環境に対する負荷の増大にもつながっています。
実際、法的な制約が事業を立ち行かせなくなるような状況を生むことはあります。コロナ対策の時短営業は、規制を受ける企業側にも同情の余地があるのかもしれませんが、それでも法令に違反して営業を継続させることを良しとはされませんでした。
不景気の折、法令を守りたくとも守れないという事例は枚挙にいとまはありません。小さな規模の企業であればあるほど、その問題に悩まされるケースは多いと思います。
さらに、人的な要素として法令違反を放置する会社は、従業員への求心力を失います。ブラック企業うんぬんの問題だけでなく、その扱いは、反社会的勢力に対して感じる感覚と近いものがあります。現代の若者に会社存続のためだからという理由は通じません。むしろ法令違反を犯さないと存続できない企業は、存在するべきではないと考えていたとしても、それが間違っているとは言えない世の中になっているということです。
コンプライアンス対策が20年以上前からはじまったような企業においては、今一度根本から今の時代に合ったリスクマネジメントになっているかを考えるべきかもしれません。

関連記事

この記事へのコメントはありません。