抑止力の無い死刑制度の存在意義

表題に表したように表現すると、死刑に対して反対しているように思われるかもしれませんが、そうではありません。
日本国内において、死刑制度の是非を調査すると、多くの人が死刑制度は必要と答えるそうです。
先日、こども園に刃物を持った男が不法侵入し取り押さえられる事件がありました。またもや「2人以上子供を殺して死刑になりたかった」ということを容疑者は動機として答えているようです。
ごく最近、京王線死傷事件で、現行犯逮捕された男が同じ動機を言っていることがニュースになったばかりです。
どちらも無力な子供を狙ったり、逃げ場のない電車内で高齢者を狙った、身勝手極まりない卑劣な犯行です。
詳しいい人物背景を調べたわけではありませんが、なんと想像力の無い犯行動機なんだろうと、憤りを禁じ得ません。
おそらくどちらの犯行も、殺人罪に至っていないので、彼らの思い描いたような結末にはならないでしょうが、もし彼らが思った通りの悲惨な結末に至ったとしても、決して彼らが想像するような簡単な死が自らに訪れることはないということを、なぜ想像できないのかと思います。
もし万人が想像できないのであれば、義務教育で死刑の実態について教育すべきではないかと思います。
死刑制度に反対ではありませんが、死刑制度そのものが犯行動機になるようなら、そんなものは必要ないと思ってしまいます。
この様な犯行動機の犯罪を無くすためにはどうすればいいのか。彼らが特殊なケースであるとして、問題の本質から遠ざかるのではなく、多くの組織、階層、個人が真剣に考えるべき問題なのではないかと思います。
今回不幸にも犯罪の現場に居たり、直接、間接的に被害を受けた全ての被害者の方達が、早く日常を取り戻して心の安寧が訪れることを祈っています。

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