国という組織

今週末は、第49回衆議院議員総選挙です。
民主主義という国体を含めて、国家を一つの組織としてみた時、組織体としてはとても異質であることを改めて実感しました。
主権者は国民であり、その論拠は選挙にあるという誰もが、学校で学ぶことですが、単純に矛盾していると言えます。
国民は、リーダーである総理大臣を間接的に選挙で選ぶ主権者でありながら、リーダーに導かれる存在でもあります。
国規模で考えれば、国民の意思というようなものは、統計データのように左右する情報で、論理的に考えてこの方向に国家を導くのが正解であるというような、判断は必ずしも実現しません。
リーダーよりも自分の都合を優先しかねない上位の存在がいる組織が、まともに機能するのかというのが、矛盾です。
今の日本のように少なくとも戦争のない平和な時代が四半世紀以上続いた中で、国民が真剣に政治を考えることは難しいと思います。
実際に高齢化が進んだ日本では、高齢者により都合のよい政治に偏っているのではないかと思います。それは、選挙の力学から、より投票率の高い高齢者主体の”今が良ければよいという政治”が実践されていると説明されても、矛盾を感じません。
それを変えるには、選挙が本当に機能しているとして、その上で投票者の大多数が、自分の事情は差し置いて、日本の将来のためにどう判断すべきかを考えないといけません。
考えると絶望しそうになりますが、人の叡智がいつかは、平和的にシステムを変えることが出来ることを信じて、今できるベストを実践できればと思います。

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