遵法精神をいかに伝えるか(1)

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企業コンサルタントの担う役割の一つと思うのが、関連する法律をいかにお客様に知ってもらえるかというところがあります。
とはいうものの、法律を基礎から学んできていない身からすると、現場経験を基に得た専門的な法律の内容を、いかに分かりやすく伝えるのかというのは、かなりハードルの高い課題といえます。
むしろ中小零細企業を対象とする中では、法律の知識よりも、「法律を守ること」が如何に大事で、当たり前のこととして認識してもらうことの方が重要だと感じています。
さて、ここで話は変わりますが、10月28日 安倍元首相の国葬が行われました。最初、国葬を開くにあたり、数々の政治家や有識者の中で、国葬を行うこと自体に反対の意を明らかにする人が数多く現れました。最初に思ったのは、いくら政治的に信じるところが違っていたり、過去の政策において賛否があったところで、亡くなった方の葬儀を行うことを反対する正当な理由にはならないのではないかという直感に基づく違和感です。
当然、亡くなったからといって、亡くなった後に故人を美化しなければいけないとも思いませんし、過去の実績の悪いと評価する意見を言うなとも思いませんが、本人が亡くなって反論できないのに、死者を鞭打つような批判は、故人を弔う葬儀の是非で議論すべきではない、そんなことはみっともないと思うからです。
しかし、国葬反対の人の理由の一つに、「国葬を行うという判断基準を含め、法で定められていないことを、議論することもなしに、税金を使って行うべきではない」というのがありました。確かに、冒頭で述べた遵法精神に従えば、それは法整備をしてからというのが、正しい順番であると感じました。「法は一時の感情や個人の意見よりも尊重されるべきだ」というのが遵法精神の根本にあるからです。

この話は、ここでは終わりません。よくよく調べてみると(ニュースでも報じていたかと思いますが)国葬が行われるのは、戦後、今の法体系になってから2度目ということです。1度目は、故吉田茂元首相だとのこと。国葬自体は明治天皇、大正天皇、昭和天皇をはじめ多くの事例がありますが、元首相については、2例目だということです。
そうなると、法的根拠がないからという理由は、怪しくなってきます。それは国葬を行うと判断した現在の政府だけの責任ではないからです。1例目のあと、当然行っていなければ1例目と同じことになる法整備を、国が、国会が、議員が行ってこなかったからです。2度目の事例は、今あげた「人」の問題というよりも、「仕組み」の問題であることを示唆しています。
(このブログ記事は次回に続きます。)

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