社会人の教育と社員教育、あるべき形とは

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先日、若い経営者の「会社は学ぶ場所ではない。学んだことを活かす場なので、「会社に入って学びたい」という人間は採用しない」という趣旨の意見に触れる機会がありました。
確かに経営者の方だけから見た理想的な雇用とは、「入社してから、教育しなくても最初から全てを把握している経験者で、直ぐに支払った給与の何倍もの利益を会社にもたらし、ポジティブな影響を社内に与え、長く勤めてくれる若く愛社精神の強い人材」かもしれません。
しかしこの理想は、自分で書いていて恥ずかしくなるくらい矛盾だらけです。
仕事柄多くの企業や業種に触れる機会がありますが、他社での経験や、学生の頃学んだことが100%で活かせる業種は限られていて、明らかに多数派とは言えません。
むしろ、よその会社での経験や学生時代に学んだことで回るほど、簡単な仕事はしていないという自負がどの会社にもあります。
そうでない会社は、ほとんどが立ち上げて間もない若い会社や、社員を育てるノウハウのない会社です。
私の感覚からすると、もはや社会人教育や職業教育は、会社が社員教育の場で育てるしかない義務のようなものと感じます。
なぜなら、それらは仕事の場でしか学ぶ機会がないからです。学校での学習はもちろん、親の躾でも学べることではないからです。
リスクを踏まえたうえで、社員を育てる覚悟の無い会社は発展しないといっても過言ではありません。

冒頭の若い経営者の意見からは、他社が育てた人材を使うことで、自社の社員教育にかかるコストを無くそうとしているだけでなく、経験や実践的な知識の無さを人材のモラルの問題に押し付けているように感じます。

確かにその考えは、合理化が進んだグローバル経済にマッチした考えかもしれませんが、皆さんはどう考えるでしょうか?

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