日本の職場教育における世代間格差の理由と推移

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会社における社員教育については、企業間格差も勿論ありますが、それ以上に世代間の認識の違いがあります。
面白いことに、厳密な切り分けの年代に違いがあっても、大きな枠組みとしては殆ど同じと言っても過言ではありません。
具体的には何を言っているかというと、大体1940年代から1950年代生まれの層の職場教育の常識は、仕事は目で見て盗めとか経験から学べというようなもので、教えてもらおうと思うなということが普通にありました。現代の社員教育の常識では、手取り足取り教えて、早く実戦力にすることが求められているのと大きな違いと言えます。
問題の本質は、昔の考え方が間違っているとかそういうことではなくて、自分の経験から身に着けた常識がいつの時代にも通用する正解であると信じていることにあります。
この社員教育についての考え方は、まさに日本の歴史の影響を強く受けていて、それぞれの年代においては正しかったと言えます。
先ほど言った所謂「団塊の世代」というのは、第一次ベビーブームの世代です。その世代が社会にでるころ、その世代を教えるべき上の世代は第二次世界大戦の影響もあり、ほとんど人数が足りていませんでした。必然的にほっておいても育つという教育しか選択肢が無かったと言えます。その中で生き残っていった人たちが今の日本の繁栄を形作る高度経済成長期を支えたという実績があり、ある意味結果が正しさを証明したことになります。当然、そういう中で育った世代は自主性が強く自分のやり方が正しいという自信にあふれています。
高度経済成長期が終わったあと数度の景気悪化がありましたが、第二次ベビーブームの世代が社会に出る前にバブル景気の時代を挟みます。この世代は団塊の世代を直接の上司や教わることになる世代で、団塊の世代の成功体験からそのあとの世代にも同じように育つことを求めるのが一般的でした。人をどのように育てるかというよりも、いかにカリスマ的な存在になって時流の好景気に乗れるかが重要な時代でした。ただしそのあと、バブルがはじけてどうしようもならない経験をします。会社は人を育てるところではなく儲けるためにあるところといった考えが主流だったのは、このころ出来た考えではないでしょうか。
そのあと世代が第二次ベビーブームのピークから落ちてくる1960年代から1970年代生まれの世代です。この層は、そのあと続く長期のデフレ期を繋ぐ世代で、自身は就職氷河期を経験し、教育も厚くは受けてこなかった世代と言えるかもしれません。にもかかわらず、そのあとの世代を教育で早く育てることを強いられた世代と言えます。自身が経験していないことを求められるので、言い換えれば教育自体が手探りで、下手な人も多くいたでしょう。
1980年代以降の層は、子供の頃の好景気を肌で感じていた層と生まれてずっと目立った好景気を経験していない層に分かれます。
どちらも手取り足取りで教わってはいるものの、教え方を知らない世代に教わった世代ということと、好景気を経験していないため、成功体験に乏しいと言えます。比較すれば自信のない傾向にある世代です。子供の頃の景気の肌感覚の影響は、個人格差が大きいでしょうが、比較的ネガティブな影響として出ているように思われます。生まれてからずっとデフレのその後の世代は、何か動けば損をする時代でしたから、当たり前のように団塊の世代と比べれば消極的です。これらは日本の歴史的な経緯の副産物なので、個人がどうにかできる問題ではありません。
昔は放任で育てられたものの、結果が出せたり、一人前になると認められるまでに1年単位の長い目で育つ状況を待ってくれる世の中でした。今は、手取り足取り教わる代わりに3か月でその人は出来る社員なのか出来ない社員なのか判断されてしまいます。
これはどちらが良いという話ではなく、世代間でそういう時代背景の差があるということを理解することが大事なのではないかと思います。

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