社会人の教養と学習

よもやま話 ブログ

子供の頃の思い込みで、大人は勉強しなくてよいなと、早く大人になりたいというような事をよく耳にしました。
人生いろいろなので、そのことが正しい面もあるのかもしれませんが、多くの人にとっては、大人になってからも学ぶことは多いと感じている人は沢山いるのではないかと思います。
特に、社会人としてのマナーや常識みたいなもの、敬語の使い方など、出来ていない人に対して、「学校で何を習ってきたんだ」と言われているのに大いに違和感を感じるわけです。
自分自身、それらの社会人としての教養は、高校、大学で習った記憶がないからです。もっと言えば、学校で掃除の時間はあっても、掃除の仕方を習った記憶はありません。
むしろそういうことは、家庭で習わないのかというような責められ方をした記憶があります。さて、それでは各家庭で行われるような躾などの個別の教育で、社会人として必要な礼儀や知識は十分に得られるでしょうか。個人的な見解から言えば、答えはノーです。
社会で通用するための多くのことは社会に出てから学びます。学校で習ったことが役に立たないとは言いませんが、当然、仕事についても仕事として成立するクオリティを社員全てに身につかせるためには、それまで各個人が学んできたことを頼りにしていても仕方がありません。より高度な専門の分野であればあるほど、会社が社員を教育する仕組みがないことには会社が発展するはずがないのです。
特に日本の企業における教育は、欧米社会のそれとは一線を画します。資源のない日本が諸外国と勝負するためには、どこまで行っても人を教育することから逃れることはできないでしょう。
会社は学ぶための場所ではないというのも真理ですが、同時に学ばない会社は伸びないというのも事実です。
その矛盾に経営者も従業員もどう解釈して共通認識するべきなのか、ここで結論付けることに意味はありませんが、日本では社会に出てからも学ぶものと思った方が現実に則しているでしょう。

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